HSP 私と誰かの当たり前が一緒じゃない時の考え方
こんにちは!ゆうみんです。
9月とは思えない暑さが続いていますね。
まだ台風の影響で停電・断水が続いている地域があります。
どうか、皆さま体に気を付けて復旧までもう少し頑張ってください。
何もできなくて心苦しいですが、一日も早く普通の生活が戻ってくることを
願っています。
さて今日は人と付き合う上で感じる「常識」「非常識」についてお話します。
<目次>
1、自分のことしか考えていない人
私は「自分のことしか考えていない人」がそばにいるとすごくツラいです。
きっと心の広い方なら、笑って許したりもできるんでしょうけど、
私にはなかなかできない。気になって仕方ない。
私自身が自分のことで精いっぱいで余裕がないのもあるでしょうけどね。
おそらく、日々ストレスを感じていることのほとんどが、
これといっても過言ではないと思います。
そしてその他人に対するストレスの背景には、
「こんなこと私だったら絶対にやらないのに」
という強い感情があります。
1-1 店員から何度注意されても平気な友人
友人Aの話です。
子連れで飲食店に入ったのですが、2階の座敷に通されたことでほぼ周りの目が届かない貸し切り状態に。
その時は子連れだから座敷で良かった。
少しくらい子どもが騒いでも聞こえないかな、と最初は思ったのですが、
友人Aの3兄弟(当時小5、小1、2歳)が遊び始め、うちの息子(当時小1)ともう一人の友人Bの子ども(当時小2男児)も加わりふざけはじめました。
しかし、家族で営む飲食店の2階ということもあり、普通の一軒家のような造りなので、
2階で走り回ると1階のお客さんにかなり響く構造だったのです。
それは店員からの1度目の注意で知りました。
「下に響くので静かにしてください」
「すみません」謝ったのは私と友人B。
普通はここで子どもを叱り、この状況の何がいけないのかを説明するのが親ですよね。
人の子どもを強く叱るわけにいかないので、私はとにかく自分の息子に必死で言い聞かせました。
他には誰もいない広い座敷ですから、男の子なら走りたくなるのもわかります。
でも人の迷惑になるようなことは絶対ダメ。
しかし、友人Aは子どもを放置。
一度も注意しない。
(私の心の声:え?なんで?普通叱るところじゃないの?)
相変わらず走り回る3兄弟。
(私の心の声:これ、絶対また店員くるわ)
そう思って私は叱らない友人Aに代わって3兄弟を止めようと必死でしたが、
言うことを聞いてくれず…
店員さん2度目の注意にいらっしゃいましたよ。
「非常識な親」を見る店員さんの目が私の心に深く突き刺さりました。
(私の心の声:もう帰りたい、この場にいたくない、一緒だと思われたくない)
友人Aは確かに昔から少し変わっていましたが、ここまで非常識ではなかったのに、
と悲しくなりました。
2度の注意を受けても友人Aの様子が変わることはなく、
最終的に私が全体に向けて強く注意する結果になり、やっと収まりましたが。
友人Aは「子どもだから仕方ないじゃん」とか「男の子だし」とか
到底理解できないことを言っていた気がします。
「人様に迷惑をかけない」
と厳しく躾けられた私にとって、非常識なんて言葉では絶対片付けられない言動。
しかも、他人(店員)に2度も注意されるというこの恥ずかしい状況。
百歩譲っても友人の言動に納得できる点はありません。
私の「常識」は友人の「常識」ではないことを痛感した瞬間でした。
その友人とはそれから会っていません。
頭からいつまでも消えない記憶が影響して、
体と心が拒否反応を示しているので、今後会うのは難しいかもしれません。
1-2 自分の子ども中心な母親
息子の小学校に、朝登校渋りするA君がいます。
お母さんと一緒に学校に着いてしまえば平気なので、朝が最大のネックです。
昔に比べると少しずつ良くなっているのですが、
まだ一人での行動はなかなか難しい状況。
ある日A君のママから「朝、一緒に行ってほしい」と頼まれました。
息子は他の友達と一緒に登校しているので、みんなで一緒に行こうということに。
息子達も「人数多いほうが楽しいからね」とすぐ受け入れていました。
ただ最近、連絡もなしに約束の時間に来なかったり(後で聞いたら学校欠席)
私がA君の様子をLINEで聞いても既読スルーされたり、とお母さんの行動に不信感がありました。
でも、同じクラスの友達のママには
「今日休んだから、宿題教えて」
とラインをする。
朝、子ども達はA君が来ないから待ち合わせ場所でずっと待ってるのに、
それには一切触れずに自分の子どもの宿題の心配?
確かにA君のことでお母さんも心配事が多くて大変でしょうし、仕事も忙しいかもしれませんが、
周りのことももう少し考えてほしいと思ったのです。
自分が必要な時だけ連絡をしてくる、自分の都合だけで動く。
私にとってはやっぱり非常識な行動にしか映りませんでした。
1-3 我が家の駐車場を泥だらけにする業者
我が家の団地は大型分譲地で、まだ空地も多く家が順番に建っている状況です。
我が家が引っ越してきてから8年位経ちますが、うちの隣はまだ空地。
その空地は家を建てるために来る業者が車を停める場所として使っているのですが、
オープン外構の作りになっているため、空地とうちの駐車場には境界にブロックがありません。
つまり、うちの敷地内に自由に出入りできる状況にあります。
私は人様の敷地に入らない、という考え方を持っているのですが、やはりそれは常識ではないのでしょうね。
我が家の駐車場に当たり前のように出入りして泥だらけにしていくのです。
躊躇する気配もなし、汚していることを気に留める様子もなく。
オープン外構だから多少入られるのは仕方ないにしろ、他人に対する配慮はないのかなと悲しくなってしまう私。
その状況を見ているのがかなり苦しくなってきた為、境界地に簡易ポールを置きました。
自分で対策をとるしかありませんでしたね。
2、考え方を変えてみる
HSPが生きづらいのは自分の常識を人にも当てはめてしまうところでしょう。
「人に迷惑をかけない」と育ってきた人間にとっては、
「自分だったら絶対にやらない言動」をとられることが本当に衝撃でしかないのです。
そしてその衝撃がいつまでも頭から消えないのがHSPです。
きっと非HSPだったら、自分は自分、人は人と頭の中を切り替えたりして、
長い間、引きずらないのでしょうね。
私は自分が細かいと思っていますし、気にしすぎなことも分かっています。
完璧な人間でもありません。
だから、私が「当たり前」と思っていることも「当たり前」ではないこともあると思います。
「私とはちょっと考え方は違うけど、そういう考え方もあるのかな」
「1回くらいだし、まぁいいよね」
「忘れていただけかもしれないね」
「どうしてもこの人とは合わないから、申し訳ないけど考えるのも付き合うのもやめよう」
と、少しずつ自分から切り離していけば良いのかもしれません。
そうしないと自分が苦しくなります。
HSPの性格はもう変えられません。
人の言動が気になったり、相手の表情から感情を瞬時に読み取ってしまったり、受け取りたくない情報もどんどん入ってきてしまう。
見たくないものも見て感じてしまう。
それはもう避けられないので、なるべく楽しいことを考える。
そして一人になって刺激をシャットアウトする時間を作ることが大事ですね。
3、さいごに
子どもの頃は、
「お母さんがいなくなったら生きていけない!」
なんて思っていましたが、(当たり前ですけどね)
大人になった今となっては、実家の母の言動にも
「え?ありえない、無神経」
と思ってしまうこともあります。
実家に長期間いると気を遣って耐えられなくなってきますし、
私はもう夫と自分の子ども以外、誰とも同居できないですね(笑)
まだまだ私は切り替えが下手ですが、ツラい時は
好きな音楽を聴いたり、ブログを書いたり、最近また始めたピアノを弾いたり、
美味しいものを食べたりしています。
HSPは人に思いやりや気遣いの心をもち、人の迷惑になることはしない人が多いですから、
そんな人間が、他人の言動で苦しくなるのは損ですね。
今日も肩の力を抜いていきましょう。
それではこの辺で失礼します。
最後までお読みいただきありがとうございました。